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私説公開

 投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年12月 1日(月)15時14分42秒
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。
 
 

梅谷たより(転送)

 投稿者:片山 源メール  投稿日:2003年 8月22日(金)21時11分44秒
   各位
 入力テストを兼ねて、受信メールより転送します。
                   片山

----- Original Message -----
From: "高原清光" <ikuta.takahara@nifty.ne.jp>
To: <9-wa@egroups.co.jp>
Sent: Thursday August 07 2003 11:14 PM
Subject: [9-wa] 梅谷さんからのメール(8月7日受信)

> 受信日:2003年8月7日 7:46
> 件 名:氏神日記
>
> 暑中お見舞い申し上げます。
>   
>  冷夏ではと心配した7月が嘘のようにこのところ暑さが続いていますが、
> お変わりなくお過ごしのことと存じます。
> 今夏も土用に入った7月27日密かに名古屋空港から上海に向かいました。
> 気温35度を超え、熱風の中の彷徨は老いの忍び寄る身には聊か怯みながら
> の旅立ちなのです。
> とはいえ上海に着けば、食いしん坊な小生はまずは土用の丑にはうなぎと
> ばかり、早速私が上海で注文したうなぎ料理は添付した写真のもので、ぶ
> つ切りの蒸したいわゆる清蒸鰻魚です。
> 江南地方のうなぎには魚偏に曼の字と魚偏に善の字の2種類のうなぎがあ
> るようです。
> 魚偏に曼のうなぎは日本のうなぎと同じものですが魚偏に善のうなぎは
> 腹の黄色いいわゆる田うなぎと言われるもので、江南人は夏バテ予防にこ
> ちらを良く食べるようです。
>     蒸しうなぎ 食らいて魔都は 夏旺ん
>   
>  趙行徳は井上靖の小説”敦煌”の主人公ですが、彼の彷徨した河西廻廊
> は今の甘粛省です。
> まずは甘粛省の省都である黄河のほとりにある蘭州に飛行機で行き、この
> 街をベースに三日ほど歩き回りました。
> 車と船に乗り継いて一日掛け黄河をさかのぼり、その上流にあるダム湖の
> ほとりに4世紀ごろの石窟があります。
> その中の169窟172窟への時空を越えた梯子のような階段を息を弾ませて登
> りきるとそこには西秦の艶が鮮やかに輝いているのです。
> いまだSERSの影響か、飛行機の便は間引きされ、四日目にゴビ灘に囲まれ
> たオアシスの街敦煌に向かいました。
> 童謡”月の砂漠”を想像させるような砂の山の鳴沙山をラクダで進むのは
> まことに面白く、不思議に妙な懐かしさを感じるのです。
> 添付写真は午後8時半ごろのいまだ明るい砂の上をラクダで行く自分の影
> を撮ったものです。
> この地の圧巻はやはり莫高窟ですが、砂漠の断崖上に密かに残る西千仏洞
> も捨てがたいところです。
> 王維の"西陽関を出ずれば故人無からん"と呼ばれた陽関、玉門関、漢代の
> 長城跡、河倉城はいずれもつわものどもの夢の跡とばかりゴビ灘の真っ只
> 中に風雪に耐え残っていますが、その前に立つとき歴史の重さを感じざる
> を得ません。
>   上海に戻ると、そこにはSERSを乗り越えた逞しき上海人たちの知恵と
> 度胸をぶつけ合うホットな戦いがあいも変わらずにぎやかに繰り広げられ
> ております。
> 職人の民である倭の国のわが先兵たちもその中に揉まれながら、行くも地
> 獄留まるも地獄とばかりこの暑さを背広姿で動き回る姿は時に悲壮感を感
> じざるを得ませんが、なぜか嬉しくも思うのです。
> 好むと好まずとに関わらず、わが国はさらなるこの国との係わり方を真剣
> に考えざるを得ないのでしょう。
>   
>  今年もいつのまにやら盛夏、このところ妙に月日の速さを感じるのです。
> 暑さはこれからが本番、どうかご自愛のほどお祈り申し上げます。
>
> (注:写真は掲載できません)
 

中国江西の旅(2)

 投稿者:梅谷道彦メール  投稿日:2003年 3月22日(土)15時47分42秒
  ところで政治的な話しはよくはわかりませんが、丁度中国に滞在中に全人代会議が開かれ、新しい中国の首脳が選出されました。
選ばれたのは江沢民の息が掛かっている人たちと言われています。
しかし江西省出身の改革派で天安門事件で失脚した胡耀邦の系統を引く人が多く選ばれています。
主席の胡錦涛、首相の温家宝、副主席の曾慶紅は80年代はむしろ胡耀邦派であったといわれています。
しばらくは江沢民の院政が続くのでしょうが、江西省出身の元老を父に持つ2代目ではありますが、江沢民の側近中の側近といわれている曾慶紅が第三世代の元老とこれらの現実的なテクノクラートとの調整役を果たしながら徐々に胡耀邦の目指そうとしたところに進んでいくのではと期待したいところです。
廬山の帰りに偶然この胡耀邦の墓に行きました。
お墓と言ってもかなり大きな公園ですが、私以外誰もいませんでした。
受付の係員はこの寒い雨降りに余ほど物好きな日本人だと思ったことでしょう。
しかし政治はどこも一寸先は闇、といっても日本にとっては中国との係わり合いを考えなければならず、彼らの行く末をしっかりと見定めなければなりません。
今の日本の政治家の中国観を見ると、犬の喧嘩の如き慎太郎観か懺悔ありきの野中観しかない様に思えます。
中国の第四世代のテクノクラートは歴史的な認識よりも現実的な対応に関心があり、国家観を持たぬ政治家の靖国詣でなどはもはや意味がないことは十分承知しており、方便としての靖国神社問題はあっても、そのことに拘るよりは日本とは靖国神社問題をうまく使いながら経済的な優位性(特にハイテク技術の移転問題)を確保していくことに関心があるのではと考えます。
その経済力をバックに中長期的には政治的覇権を目指すのではないかとの心配は当然に考えなければなりません。
どう見ても歴史的な認識に連綿としているのはもはや中国ではなく、日本であるということを私達は気がつかなければならないのではないかと思います。
旅の終わりに思うは九江のホテルの前を長江は人間どもの愚かさを笑うが如く今日も変わることもなく流れているという当然である面白さをです。

  仕事を始める前に相変わらずの長すぎた文章を読ませることになりましたが、お許し下さい。
またお会いできることを楽しみにしております。


 

中国江西の旅(1)

 投稿者:梅谷道彦メール  投稿日:2003年 3月22日(土)14時06分3秒
  大変ご無沙汰していますが、お変わりなくご活躍のことと存じます。
 一昨日私に残された唯一の趣味である中国は江西省の旅行から戻ってきました。
しかし頭の中は未だ旅の空をさ迷っているのです。   
     転寝と 旅を続ける 春炬燵
  
  江西省の旅は南昌、景徳鎮には数年前に行きましたので、今回の目的地は廬山だけでしたが、乗り物の関係で南昌と九江に寄らざるを得ませんでした。
なぜ廬山なのかということですが、これはいつものいいかげんな動機に過ぎません。
それはまず芥川龍之介の”長江游記”と松本重冶の”上海時代”を読み、そして昔習った清少納言の”枕草子”も思い出し、この地に行かなければと思いついたのです。
1930年代になると蒋介石はこの廬山で会議をやたら開いているのです。
蒋介石は侵略を拡大する対日問題を、解放区を拡大しつつある対共問題をいかに対応するのかの最も重要な会議をこの地で開いていたのです。
そして1937年6月から8月までに周恩来も参加しての廬山会議で国共合作が計られてたのです。
共産党政権下になってもこの地での会議が政治的な大きな事件(彭徳懐失脚、林彪失脚)となっています。
そして思いも寄らぬ清少納言の枕草子にもこの地が出てくるのです。 
中宮が「香炉峰の雪は?」と尋ねられたので、清少納言は直ぐに御簾を巻き上げたという話しがありました。
この香炉峰は廬山の峰の一つだとのことです。
白楽天が麓の九江に左遷され赴任していた時に、徒然に草堂から廬山を眺め読んだ詩に”香炉峰の雪は簾を撥ねて看る”という一行があり、清少納言はそのことを知っていたと自慢しているのですが、この香炉峰は廬山のどこなのかを看つけることも楽しみのひとつでした。
しかし生憎と廬山は冬に逆戻りとなっており、夜間はマイナス10度近くまで下がり、寒さに強い私でも暖房のきかない部屋で寒さに震え夜明けを待つという厳しい歓迎を受けました。
蒋介石の奥さんの宋美齢の名前をつけた美廬別荘が廬山会議のメイン会場でしたが、そこに3時間ほどうろうろとしている内にこの地から今の日本を思わざるを得ませんでした。
香炉峰は廬山の北面の九江に下り下から眺める必要があり麓にある鉄仏寺と東林寺でその峯について聞いたのですが良く分かりません。
その上あいにくと小雨が降る天候でもあり、ここからは廬山はまったく見えませんでした。
地図上にもそのような名前はなく村の人もそのような名前の山は知らないとのこと。
何でも白楽天の香炉峯と李白の香炉峯があるようで,まことに良く分からないところが中国的だと妙なことに感心をしました。
  
 

吉川彰平さんが住所移転

 投稿者:片山 源二郎メール  投稿日:2002年11月28日(木)09時32分7秒
  以下の挨拶ハガキが吉川彰平さんから届きましたので、転送します。
―――――
* 「住所移転のお知らせ」
下記の住所に引っ越しました。
木場公園のすぐそばです。
ぜひ一度お立ち寄りください。

 135-0015 東京都江東区千石1丁目4番28-1001号
     TEL&FAX 03-3649-6409
       平成14年11月吉日

        吉川彰平・裕江

―――――
<追伸>
 再婚された? ことと思われます。
 

梅谷さんからのメール

 投稿者:高原 清光メール  投稿日:2002年10月12日(土)00時24分32秒
  受信:2002年10月6日 13:28
件名:氏神通信
本文:
 上海市の南端,浦東空港の近くに上海芦潮港という小さな漁港があります。
私の擬似遣唐使コースは日本から寧波を目指した遣唐使船が中国大陸に近づく最後のコースを辿ろうと考えたのです。
もちろん遣唐使の時代は風だけがたよりの時代ですから、どのコースを辿ったのかは正確には判りませんが,寧波に上陸するためには杭州湾を横切り,甬江に入り,その川を上らねばなりませんから,甬江の河口前に広がる舟山列島のどこかを通るのではと考え,その中にある中国四大霊場の普陀山をまずは目指すことにしたのです。
まずは上海の十六舗からバスで杭州湾に面する上海芦潮港に行き、そこから船に乗り、しばらくするとそこには安倍の仲麻呂が、最澄が、栄西が、道元が、ずっと下がって雪舟が眺めたであろう白水の海が広がり、その先に大陸の影を見出だすとホット安堵した遣唐使船の光景を想像せざるにはおられません。普陀山は観音菩薩の島なのです。
島中が霊場になっており、風光明媚な静かな島なのです。
この所の観光ブームによって少しづつ変化がありますが、中国にしては意外に素朴な人々と出会うことができました。共産主義と仏教の関係は共産主義と市場主義経済との関係と同じで今の中国においては矛盾するものではないようです。この国の面白さをココでも見たような気がしました。
3日ほどこの島で過ごしましたが、早朝に日の出を見にホテルの近くの百歩沙に出かけ、その帰りに朝粥を食べ,近くの山に上り、昼食後午睡をとり,目覚めるとバスに乗り少し離れたお寺や観光地を見学に行く,夕方は漁民の経営する海鮮食堂で桶に入れらた新鮮な魚介類の中から選びそれを料理してもらい、夕日を眺めながら屋外で食事をするという非日常的な時の過ごし方もこの地だから可能であったのかもしれません。
日本を大型の台風が襲っていることも知らず、のんびりとした日々を過ごしていました。このあと寧波に行きましたが、残念ながら甬江を船で寧波に上ることはできませんでした。道元が修行し,雪舟が「四明天童第一座」を得た天童寺にもでかけました。天王殿の前の放生池を眺め得るベンチで休憩していましたら、どこからか金木犀の香りが漂ってきました。
人間道元も修行の合間に漂う金木犀の風に遠き日をそして故郷を思い,心乱るる思いに時を過ごすひとときもあったのではと一人想像していました。
   木犀の こぼれておりし 古寺回廊 
国慶節連休の上海は人で溢れ,どこに行っても人人人でした。
そしてそこには経済至上主義のシンボルであるかのように天空にそびえた新摩天楼が勝ち誇った自慢げな顔で櫛比しているではありませんか。
富を得るために神に仏に走る人、その一方では心満たされぬ日々を仏教にすがる人が増えていくのは当たり前なのではと,この所の中国の宗教界の盛況の原因をこの街で見つけたような気がします。
何かに駆られるように生きている人間がとても悲しくそしていとおしく思える旅でもありました。
 季節の変わり目でもありますのでくれぐれも健康にご留意されますようお祈りいたします。

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梅谷さんからのメール

 投稿者:高原 清光メール  投稿日:2002年10月12日(土)00時22分56秒
  受信:2002年8月30日 8:08
件名:氏神通信
本文:
 残暑お見舞い申し上げます。
昨日は台風の影響か少し曇っていましたが,お昼近くになるとぐうんーと気温が上がり当地では35度近くにまでなりました。
暦の上での秋をいささか無視したかのように相変わらずの暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうかお伺い申し上げます。
 この夏のわが偏見と独断のシナリオの旅は早々にそして密やかに進められ、後は出発を待つだけという所まで来ていました。その計画によれば今回は中国は浙江省の寧波の前の海に広がる舟山列島の普陀山から寧波に舟で移動するという遣唐使コースを計画しました。
ところが.....。
 「甬江の河口の前には舟山列島が広がり、大陸に最も近いところに金塘山島がありますが,その島の漁村を左手に見ながらしばらく行くと寧波の河口に辿り着き、そこから小舟の行き来する甬江に入り、更に20キロ遡ったところにある三江口が当時の明州、今の寧波の河港であり、そこが遣唐使の上陸地点でした。
最澄も、道元もこの地で上陸し、空海も円仁慈覚大師もこの地を知っていました。鎌倉時代に曹洞宗を創立し、永平寺を開山した栄西も室町時代の画僧雪舟もこの地に上陸しております。そして私もこの地を海から上陸したかったのです。」
これは私のこの夏の幻の中国旅行の一コマ?です。
 7月も終わりになる頃に体調を崩した家人はそのまま入院、そしてやっと8月の終わりに原因を見い出すことなくとりあえずの退院をしてきました。この間一人で過ごす生活はなにやら来るべき日々のシュミレーションかと思いつつも、例え病みし戦友でもいないのはとても寂しいもので、一人の食事はついだらだらと長引き、気がつけば太り気味、夏太りとなってしまいました。真夜中の掃除、夜中の洗濯がこの夏の収穫でした。
蝉の鳴き声が遠のき、庭のどこからか遠慮がちに出番を待つ間の練習か虫の鳴き声が時々聞こえてきます。
   おずおずと 伺い鳴きする 雨の虫
残暑厳しい折からご自愛のほどお祈りいたします。

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最近の関心事

 投稿者:片山 源二郎メール  投稿日:2002年 7月 4日(木)11時51分52秒
  *最近の関心事
 定年後、1年が経過しました。この間の動きと最近の関心事は、
以下のとおりです。
(1)失業保険と老齢年金(金額は、人により差あり)――最初の6ヶ月間
 は失業保険(25万円/月)で生活できるが、以降の老齢年金(6万円
 /月)のみでは生活不可。会社の年金基金等を加えても、焼け石に水。
 61歳からの年金は、いくらもらえるのかな?
(2)人間ドックーー別途報告済。治療して良かった。しかし、現状維持が
 ベストのため、12千歩/1日は、欠かせない。
(3)趣味の世界――碁のWOBの会誌編集を完了して発刊。ゴルフ・競馬は
 継続したが、成果は小。酒は、健康維持のため休肝日(月火)必須を痛感。
 競馬は、この7月から連単・三連複が始まるので、投資額のmax設定が
 必要。全般的に、収入ゼロに見合った調整が必要になってきた。
(4)投資等――パソコンによる「日興イージトレード」を開始。MMFでは損を
 したが、儲けよりも如何に損をしないか熟慮中。yahooで、自分の
 名前を検索すると、本掲示板の情報が取り出せるのにビックリ。
(5)教養等――読書はツンドク主流。「買ってはいけない」ものを知ろうと
 『週刊金曜日』を購読開始。No.406(4月/5日号)の「たばことダイオキシン」
 は、喫煙者は必読。また、小泉改革の「有事法制」が戦争への道には絶句!
(6)その他――少子化だけでなく、地方は過疎化。年金をもらう老人(60歳
 以上)は、生存価値がない世界に、誰がしたのだろうか?
 

片山さんからのメール

 投稿者:高原 清光メール  投稿日:2002年 5月25日(土)23時14分11秒
  2002年5月17日 13:29
件名:久和会の「渡辺信之」氏が日刊ゲンダイ(5/17)に

 お元気ですか?

 ご覧になったかと思いますが、「久和会」のメンバーである渡辺信之君が日刊ゲンダイの2002.5.17付け(5/16発行)の新聞の「社長の私生活」(p23)に掲載されています。
「三井住友海上損害調査」社長。

 私は、この定年後の約1年間近く、歯医者通い、人間ドックで指摘された精密検査と治療で病院通いに追われていました。ようやくほぼ目途が立った所です。
また、WOB囲碁会のOB雑誌の編集に時間を取られ、一昨日ようやく印刷に回しました。ワープロによる雑誌の編集は、比較的に簡単ですが、パソコンによる編集は、数倍の時間と手間が掛かってしまいました(リビジョンの違い、変換方法の変更等)。

 実は、私も勉強不足で、貴君の提示されたホームページへの返信方法を理解できていません。6月からは、時間的な余裕ができるので、ホームページの作成を習得しようと思っています。
では、お元気で。

片山 源二郎;カタヤマ ゲンジロウ
E-Mail:genjikata@msh.biglobe.ne.jp
携帯:090-9246-8187
Tel1:03-3424-8216

http://homepage2.nifty.com/k_takahara/

 

梅谷さんからのメール

 投稿者:高原 清光メール  投稿日:2002年 5月25日(土)23時07分42秒
  2002年5月6日 22:21

この連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
私も相も変わらぬ中国独断と偏見の旅に8日間 ほど出かけていました。五台山清涼寺というお寺を知っている日本人はあまりいない とは思いますが、私はこのお寺を以前から見に行きたいと思っていました。山西省といって 北京からいうと西に河北省、其の西隣にある省で、北隣は内モンゴル、西隣は西安のあ る陜西省,そして南隣は北宋の都開封がある河南省という地
理関係です。省都は太原という街ですが、ここから北西に230キ ロの山の中にこの五台山が在ります。上海から太原まで飛行機で2時間、柳絮の飛ぶ 黄土高原の入り口に当たるこの街に着きます。起伏の激しいリアス型の地形が続く黄 土高原を走ること3時間、四方を裸の山に囲まれた五台山にたどり着きます。
この地に来 た日本人には歴史的にみると、唐の時代には円仁慈覚大師が、そして北宋時代には成尋僧正がいますが、いずれも2週間程度滞在したに過ぎません。中国仏教4大聖地の一つ になっていますが、別に仏教に興味があるわけでもありません。
清朝3代皇帝に順治帝という皇帝がいました。六歳で即位し,年僅か24歳でなくなったと歴史の上ではそのようになっています。康熙字典の編纂で有名な4代の康熙帝の父親に当たる人です。康熙帝は在位中に5回この五台山に行幸しています。そしてある日を境に五台山にはぱった りと行かなくなったのです。そこから五台山清涼寺の物語が語られ始めたのです。
今世紀の初めにイギリスのエリザベス女王の伯父がシンプソン夫人との結婚の為に王位を捨てました。其の事をさかのぼること250余年前に順治帝は生きている女性の為ではなく、愛する女性の死を弔う為そして弔いつづける為に皇位を捨て、この五台山に篭り、命の限り弔い続けたとのことです。其のことの真偽の如何は私の中国人観に大きく影響を与える出来事だと考え、ずーっと気になっていました。
現世的な利には聡い中国人にもこの様な人がいるのかという素朴な疑問 がありますが、清朝は満州人ですから漢人とは違うのかもしれません。清涼寺は谷を 見る崖プチにしがみつくように建っていました。平服を着た坊主頭の恐らく僧侶であろう30後半の男 が熱心にこのお寺のすべてに着いて語ってくれるのですが、如何せん基礎知識不足の小生には理解しにくいことばかりでした。
破壊された建物のうち捨て られた煉瓦を踏みなが ら裏山に案内されるとそこには破壊を免れた石碑があり、歴史的には死によって息子康熙帝に皇位が受け継がれたことになっているはずの順治帝は皇位を捨て出家し,この地で愛する女性を弔いこの地で亡くなったと書いてあるとのことですが,残念ながらこの石碑も風化して文字がはっきりしませんので,この僧侶の話を信じるほかありません。面白いことにこのロマンのお寺には小さな庭があり、その真中に大きな清涼石が横たわっており,この上に登れば何事も成就するとの現世的な御利益があるのです。
     清涼の 岩に登れば 柳絮とぶ
今日未明に今年も暦の上の夏を迎えました。

http://homepage2.nifty.com/k_takahara/

 

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