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  1. 日紡貝塚(1)
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2002年世界選手権大会、全く専門誌にも様子がわかない大会

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月16日(日)17時08分38秒
  https://ja.wikipedia.org/wiki/2002%E5%B9%B4%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9  
 

ギビ監督の分身

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月13日(木)17時36分51秒
  よく、コートにギビ監督の代わりにブルダコーワが指示しているとも言われてました。ブルダコーワは日本が始めて参加した第3回世界選手権で活躍した美人セッターです。河西でさへ、あの瞳に吸い込まれそうだと言われた位の選手です。第4回の二チボー単独チームで優勝したソ連チームでは、出産で参加しなかったと言われてます。東京大会はリジョワがキャプテンでセッターでしたがライトの選手もとすを上げる補佐をしてて、日本戦はピンチになるとチホニナと交代で出場してました。リジョワとは、あまり仲が、良くかなかったのか?リジョワが試合中にブルダコーワと言い合いになってる写真を専門誌で見た事があります。またフルダコーワがオーバーネットを取られて東京オリンピックの日本チームが優勝を決めた後、チームメイトがブルダコーワを責めてた写真も専門誌で見た事あります。ブルダコーワはディナモモスクワのチームに所属していてリジョワはレニングラードのチームに居てリジョワが一つ年上のライバルでした。ブルダコーワはディナモモスクワの監督をしていたギビ監督の絶対の信頼がありベンチに居るギビ監督の指示に従い試合中でも指示がでたら、その指示通りにトスを上げる名セッターだったとも言われてるのがギビ監督の分身がコートに居ると言われた、ゆえんでしょう。ブルダコーワは最初はアタッカーでしたがセッターに転向しました。松村勝美選手がブルダコーワのトスを非常に軽いボールを上げるセッターと言ってました。確かにブルダコーワのオープントスは正確でボールが死んでてアタッカーが打ちやすいボールを上げます。アタッカーの個人技でパワーと高さで打ちまくるソ連のチームには最も適したセッターだったと思います。パルフォムチュークがソ連No.1セッターと言われてますが芸術性溢れたとまで言われたブルダコーワの安定したオープントスに関しては今でもNo.1かも知れません。またパルフォムチュークは中田久美と共に幼い時からカルポリ監督に期待されてましが選抜チームでなかなか結果が出せずパトキン監督の時は正セッターはクリボシェーワに奪われ控えのセッターもキリヤコワに奪われて一時ナショナルチームから外されました、そこが中田久美の特別扱いと違いウラロチカスベトルフスクで実績を積みパトキン監督から再びカリポリ監督になりパルフォムチュークはソウルオリンピックで花が咲きバレーボール殿堂入りをすらる名セッターに育ちました。話は戻しますがブルダコーワは勝負の駆け引きも上手でミュンヘンオリンピックの時は34才で二児の母で動きも鈍くなりましたがチームの柱でありギビ監督の分身であるから決勝戦も先発レギュラーセッターで活躍して勝負所では休憩しながらもコートに立ち第3せセットの終盤、追い上げられた時にキビ監督はタイムアウトとブルダコーワを投入してチームを引き締めてリスカルを効率良く使い逃げ切ってます。またチームメイトの信頼もあつくブルダコーワがサーブでポイントしたらチームは勝てるとげんを担がれてました。ブルダコーワはバレーボールの華と言われた美人選手でした。ブルダコーワ引退後はセッターは174センチでサウスポーの大型セッター、ベルゲンにギビ監督は託しましたが気が弱くモントリオールの正セッターはムラジャンになりました。ミュンヘン後アタッカーはリスカル、スモレーワ、シュチェチニーナ、チェルニショワ、オサッチャヤ、ロストワとアタッカーは揃ってましがブルダコーワの穴を埋められなかったから負けたと言われてます。ベテランのドゥユノワ(ガルシカ)テレチャコワ(ボニヤエワ)サリホワ、サリチェワ、チュリナ、レオンチェワ、ゴノボブレワ、などメキシコ~ミュンヘンまで活躍したベテランが引退したのも原因ですが国内選手権もディナモモスクワはチャンピオンから落ちてチェルニショワの所属しているツェスカモスクワがソ連チャンピオンになりギビ監督の所属したディナモモスクワの弱体化も原因です。まだ、その頃はカルポリ監督率いるウラロチカスベトルフスクは、まだソ連最高リーグの、中の1チームにしか過ぎません。モントリオール後ミュンヘンの時からコーチつとめたチューリン監督がナショナルチーム監督を、つとめモントリオールの敗戦をミュンヘン後の若手切り替えの失敗としてきしてワールドカップはミュンヘンのメンバーだったボロズナをキャプテンにして77ワールドカップに挑みましが若手ばかりで最下位で終わりました。その後、レニングラードの世界選手権でブルダコーワ後にキャプテンだったスモレーワ、73年ワールドカップで大活躍したシュチェチニーナ、チェルニショワ、マカゴノワ、ロゼビッチ、ムラジャンのチームで開催国のレニングラードの世界選手権に挑みましたが3位決定戦で二次予選にストレート負けした韓国にストレート勝ちしてソ連は日本より早く始めて世界大会で決勝戦に残れなかった結果を出して当時ロシアNo.1のチームになったロゼビッチをキャプテンにセッターロギノワ、ライト、ラズモワ、レフト、マカゴノワ、センター、ソロボワのウラロチカスベトルフスク主体のカルポリ監督の時代に入りました。ウラロチカ+チェルニショワのチームでモスクワオリンピック金メダル、81年ワールドカップ銅メダルでしたが82年世界選手権まで戦いましたが82年賀状は準決勝に残れずカルポリ監督からパトキン監督になりました。パトキン監督からは選抜チームになりアイステレ、サルチェビッチ、カチャロワ、バジュークなど有望な選手を選抜しましたがソウルオリンピックの予選のヨーロッパ選手権で東ドイツに負けて再びカリポリ監督のチームに戻してソウルオリンピック金メダルに輝きましがキューバは参加してません。
 

ギビ、アフレジーナ監督

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月13日(木)12時53分39秒
  もとはソ連男子ナショナルチームの選手でした。その後、男子ナショナルチームの監督になり世界選手権も優勝してるソ連男子バレーボールの名将です。教え子にはパトキン、チェスノコフ、プラトーノフと歴代ソ連男子の名将来監督も居ます。ディナモモスクワ、ソ連女子バレーボールチームの監督として日本ではお馴染みでしたが男子でも名将です。ソ連女子バレーボールチーム監督というとウラロチカスベトルフスクのカルポリ監督がモスクワオリンピックから長くつとめてたから有名ですが、カルポリ監督はモスクワオリンピック、ソウルオリンピック、90年の世界選手権の3大会の優勝監督でキビ監督から見れば名将であろうが、またまだ可愛い後輩程度の監督だったと思います。キビ監督は、あまり名将とは呼ばれず智将と呼ばれてるのは、必ず本番で隠し工作をするからでしょう。絶対的に強かったモントリオールの山田監督でさへ、本番でキビ監督が、何をたくらんでるか?それだけが心配ですと言ってました。  

メキシコ、ミュンヘン

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月13日(木)11時50分41秒
  オリンピックを連覇したソ連チーム、バレーボール殿堂にギビ監督、リスカル、スモレーワ、サリホワ、ブルダコーワと5人も入ってます。無敵の90年代のキューバより多いんですよ。如何に凄かったか判りますよね。それに立ち向かっていった日本女子バレーボールの伝統の灯が今、消えてます。  

訂正

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月13日(木)11時25分43秒
  ヤシカには三連勝、ソ連はしました。さらにメキシコオリンピックは東京オリンピック経験者は日本は 0人に対してソ連は5人も残りました。またメキシコの主力、ガルシカ、サリホワ、レオンチェワ、リスカル、ボニヤエワ、サリェワ、ブルダコーワもミュンヘンで残ったのもソ連の連覇に繋がったと思います。また春の日ソ対抗に185センチのチュリナを連れて行かなくミュンヘン決勝戦でチュリナが隠し玉で活躍したのもギビ監督の智将と言われたゆえんです。  

ツーセッター

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月13日(木)11時12分46秒
  日本はミュンヘン、メキシコオリンピックはツーセッターでした。ミュンヘンは生沼、松村のツーセッター、70年の世界選手権は松村、岩原のツーセッターでした。殆どスパイクを打たない松村のツーセッターは、むしろワンセッターの方が良かった気が今でもおもいます。メキシコオリンピックの生沼、高山のツーセッターは韓国女子のコンビネーションバレーには敵わないですが当時は完成されたセンター兼セッターのツーセッターでした。生沼はブロックが上手でフライングレシーブもしました。高山は日本リーグでスパイクを取ったほどのアタッカーです。大砲も宍倉、井上と179センチ176センチといましたがソビエトに勝てなかったのは智将ギビ監督に負けた事と監督、選手のキャリア不足で負けました。ソビエト女子は東京オリンピック後の日ソ対抗バレーでも日本の単独チームに勝てなくヤシカ、二チボーに勝てませんでした。そこで男子バレーの監督だったギビさんが私が、ヤポンスキーに勝つから女子の監督になると手を上げて監督になり日ソ対抗は日立に三連敗したがヤシカに三連敗、カネボウ、二チボーに勝ちました。その時キャプテンのブルダコーワは日本の戦力が判った河西が居たチームより今の日本には勝てると言いましたが日本は日本一イコール世界一の神話がありソビエトが悔しくて捨て台詞をはいたとおもったようです。日立はメキシコオリンピックの主導権を手に入れました。メキシコオリンピック前に日本男子がソビエト遠征に行きたいと言ったら女子も来るなら良いとソビエトから返事があり山田監督は行く意味はないけど日立主体のAチームでなく選抜のBチームで戦いソビエトの戦力分析をする遠征でした。しかしソビエトに行ったら女子チームの行動、練習を常に数台のカメラでチェックされて選手はノイローゼ状態になったと言われてます。試合もBチームでは1戦2戦と落とし選手が自信を失うから3戦4戦はAチームを出して1勝1敗にしてソビエト遠征から帰り、すっかり自信を失い帰国して北海道合宿した時は井上がギッキリ腰を起こしたり調子を崩した、そうです。チーム東京大会より体格は良く若いチームでメキシコ大会は若さと勢いで勝つ予定でした。キャプテンもベテラン、カネボウの吉田節子から、ヒントの21才の高山鈴江に代わり吉田はコーチン兼選手でした。メキシコ入りして日本チームは東京オリンピックの今のチームと、どっちがつよいと言われてキャリアは東京オリンピックのチームだか実力は今のチームが強いと言ってました。対するソ連は日本がソ連遠征の時はソ連選手もクイックを打ち日本の速攻にすっかり慣れてたようです。メキシコ入りしてソ連は練習非公開にして更に念を入れたのかエース、リスカルの手に包帯を巻かせて試合には出さずベンチに置きリスカル故障説を流しました。日本は決勝リーグの最終戦のソ連戦に向かい全てストレート勝つしましたがキャプテンの高山の調子はイマイチでした。日本はソ連の攻撃に対してソ連はレフト、センターから攻撃するからブロックは絞りライトは飛べたらブロックに付く、全部飛んだら混乱するとライト攻撃は捨てる作戦をとりました。しかしソ連は日本戦だけ今までと違うシフトをとりました。エース、リスカルは日本戦に登場して左右両手利きのサリホワと対角を組ライトから攻撃してきました。更に最初はソ連のサーブから始まり生沼、高山の機関銃攻撃のコンビの高山のクイックをスモレーワが狙い定めて連続シャットアウトして調子の悪い高山を潰しましが高山はアタッカーだけでなくセッターであった為、チームは機能しなくなり、日本得意のセンターからのクイックを、その後は使わなくなりオープン攻撃主体になりギビ監督の作戦に、まんまとのって負けた試合でした。試合終盤、山田監督は、俺は選手と共に戦ってたが、あの智将ギビ監督に勝たない駄目だたと思ったようです。負けた山田監督は一夜にして髪の毛が真っ白になったようです。それからは山田監督はソ連のデーダーを集めギビ監督のブライベートまで調べあげたようです。更にギビ監督が開催地のモスクワオリンピックで引退すると山田監督は最初思ったらしいがギビ監督はモントリオール大会で引退する事を知るとギビ監督率いるソ連に勝たないと意味がないと思いモントリオールオリンピックに綿密な計画を立ててソ連を決勝戦でワンサイドで破った話しになりますが、そこから先は山田監督のバレーボールの情熱は、しだいに冷めていきました。ギビ監督も専門誌のインタビューで、ある意味ではブルダコーワや主力選手を妻よりも愛してかも知れないと言ってましたが、その師匠ギビ監督の言葉を山田監督は取り違えたのか?セクハラ問題も起こしてますね。選手と監督は恋人同士のようにならないと駄目と山田監督は言ってました。美談と醜談と色々ある監督です。後に高山鈴江さんは山田監督と生沼さんと関係に疑問を持った意見も言ってましたし高山さんは山田監督の事を好き嫌いと分けるなら。やっぱり私は嫌いとハッキリと言ってます。女癖が悪い山田監督は噂がありました。  

韓国コンビバレー

 投稿者:かず  投稿日:2018年12月13日(木)05時44分23秒
  カルバハルさんのおっしゃるように、あの時代の韓国バレーは特筆されていいものですよね。
自分は、77年ワールドカップで初めて見た 韓国のコンビバレーに衝撃を受けました。
172cm前後の選手が(曹 165?)全員コンビにからんで来て 面白かったです。完璧なレシーブがあってのことでしたが。
劉敬花は セッターでありながら アタック、
特にブロックもよくて ワールドカップ77 best 6にも入りましたね。
第1セットだけ 日本を追い詰めたとききますが、5輪準決勝とかは、
ぜひ見てみたいです
 

細かいコンビネーションバレー

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月12日(水)19時22分52秒
  個人的には73年ワールドカップ、74年世界選手権、モントリオールオリンピック、77年ワールドカップと4大会、銅メダルの韓国女子チームは素晴らしかったです。大砲と呼ばれるエースアタッカーや体格が劣る分を劉敬花、柳貞恵、控えの尹英乃のツーセッターはキューバのツーセッターと違う意味で完成されたツーセッターでしたね。個人的な高さやパワーが無いを補う為にサーブレシーブを80%セッターに返球する守備力で、非力な分、選手が団子になってコンビバレーをしてきました。ツーセッターなので常に前衛は3枚アタッカーとして使えてます。エースせったの劉敬花がセットアップすると攻撃力が落ちるとまで専門誌に書かれる位、アタッカーとしても優秀でした。当時、日本には世界一のセッターが金坂、松田と2人居ると言われてましたが総合力では劉敬花がNo.1と専門誌に紹介されてました。73年ワールドカップではヤシカ単独チームにフルセット負け、74年世界選手権は日本から1セット奪ってます。モントリオールプレオリンピックでは単独日立にストレート勝ち、モントリオールオリンピックで準決勝で日本に1セット目は13-13まで粘る、ワールドカップ77は決勝リーグで日本から1セット奪う78年世界選手権は二次リーグでソビエトにストレート勝ちしました。78年世界選手権はキューバと韓国は対戦しませんでしたが、韓国とキューバ戦が見たかったと当時、小島監督は言ってました。強かった対キューバ対策のヒントが貰えたかも?知れないとまで言われてました。その後、韓国はワンセッターになりましがワンセッターにした意味が無いとまで言われてました。当時の韓国の完成されたツーセッターは今日の日本女子バレーボールの強化のヒントになると思いますよ。複雑なコンビネーションバレー+ブロード攻撃+パイプ攻撃更に早い平行トスをツーセッターで出来たら、今のブロックシステムでも、通用しそうです。確かにツーセッターは難しいですが5人でサーブレシーブして確実にサーブレシーブをセッターに返球したら素晴らしいバレーボールが出来ます。ツーセッターは難しいから諦めて全く試みてませんが日本女子バレーボールには無理と諦めないで、唯一、世界に攻撃で対抗出来る進むべき道だと思います。高校や実業団ではツーセッターを基本に強化して欲しいです。例えワンセッターになっても経験豊富な大型セッターが沢山育成されます。キューバのようなツーセッターは厳しいですが昔の韓国女子のツーセッターを基本としたツーセッター日本女子バレーボールチームを目指して欲しいです。ツーセッターは、何時でもワンセッターに戻せますがワンセッターからツーセッターのチームは、なかなか作られませんが、時間を、かけて強化したら将来はまだあると思います。  

89年W杯

 投稿者:アルタガモワ  投稿日:2018年12月12日(水)14時43分48秒
  私も当時若くてあのキューバのスキルには驚きました。それまではルイスのワンマンチームと言う印象しかありませんだしたがセンターのカルデロン・メルセデス、カルバハル、サウスポーでありながらレフトをこなすベル・・・2セッターのイスキエルド、オルティスのプレーは郡を抜いて日本なんて足元にも及びませんでしたね。金メダル獲得でキューバ政府からもかなり喜ばれ優遇された記憶があります。それだけ国を揚げて力を入れたりまた選手達も金メダルを獲る事で人生が変わる!と言う時代だったんでしょえね。
個人的には今では考えられない様なきめ細かいコンビ、クイックを多様していたソ連のバレーが好きでした。
 

長期

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月11日(火)11時22分13秒
  女子バレーボールで長期世界王座にいたのは第一回世界選手権~3回のソビエト、第4回世界選手権~東京オリンピックをへ第5回世界の日本、メキシコオリンピック~第1回ワールドカップのソビエト、第7回世界選手権~モントリオールオリンピックをへて第2ワールドカップの日本、第3回ワールドカップ~第9回世界選手権までの中国でしたがキューバの  91年のワールドカップ~200年のシドニーオリンピックまでの張は、あっばれです。90年の北京の世界選手権がルイスの怪我もあり優勝できませんでしたが実力的には参加はしてなかったけど、ソウルオリンピックですでに世界一の実力はあったとおもいますね。ソウルは金メダルから最下位の開催国の韓国まで、団子レースなの今でも最も面白い大会だったと思いますがキューバが参加してたら話しは別だったかもしれません。あ圧倒的に強かったモントリオールの日本と断然、長く王者であったキューバ女子、今は長く君臨するのは厳しいでしょう。  

キューバ女子

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月10日(月)21時26分14秒
  伝統的にツーセッターのチームでした。トスが上げられるアタッカーて感じです。テリエス、ガルシアのツーセッターはテリエスは手を前方にセットしてジャンプトスをしてバックにボールを上げる技術は今でも十分通用しそうです。対角のガルシアはテリエスと比べるとスパイクもトスも劣りますが、カリブの黒真珠と言われた美人選手で人気がありました。エースのポマレスは鉈を叩け割ったような豪快なサウスポーアタッカーでした。色紙にサインする時は紙を逆さにしてみぎから左にスラスラ書いて書き終わったら逆さに戻し色紙を渡すはなしは、ちょっと話題性がある話しでキャプテンで78年世界選手権はMVPになりました。敢闘賞はソ連のシュチェチニーナでした。対角のバルネットは背が高く186センチありました。チームナンバー1の高さがあり328センチ位からスパイクを打ちますが、ベテラン選手の割には好不調の波がありエレニア、ディアスが穴を埋めてました。そして、メルゼス、ペレスはジャンプ力、瞬発力、リーダーシップがあるチームの柱でした。またキューバのエースに78年世界選手権からなったウルヘリエスは、その後、長い間チームの中心になり一人で気をはいてカポーテ、ラサラ、ゴンザレスなどと低迷期から絶対王者になる前までチームの顔で頑張ってました。ミレーア、ルイスがデビューするまで頑張りました。キューバの第一期黄金時代は78年の世界選手権後、キューバのバレーボール協会で、ゴタゴタがあったらしく、本命視されたモスクワオリンピックは予選で東ドイツとソ連に負けてのは信じられなかったです。キューバは確かに世界チャンピオンで強かったですが短い世界王者でした。その後85年ワールドカップでミレーア、ルイスが世界デビューしても中国の壁は跳ね返されました。86年世界選手権はルイスが出産後で体調が悪かったがカルバハルが世界デビューしてキューバの役者が揃ってきました。郎平、張容芳が引退して張容芳監督、郎平コーチでも中国は世界タイトル5連覇しましたがソウルオリンピックはキューバは不参加でしがが89年ワールドカップはルイスが威力を発揮して2回目の世界チャンピオンになりましが、まだルイスに頼るチームでした。 90年の世界選手権は、ルイスがバイク事故の怪我の影響があり3位でしたが、その後は2000年のシドニーオリンピックまで世界タイトルを独占しましたからね。ルイス、カルバハル、トーレス、ベルと世界的なアタッカーが、同じ時代にあれだけ揃ったチームは、今後出ないと思います。世界各チームはワンセッター主流になりましたがキューバはツーセッターで世界タイトルを独占しました。キューバのセッターは他のチームならエースアタッカーみたいな選手がセッターをつとめてました。キューバはサーブブロックも得意でしがルール改正で禁止になりました。それでも絶対王者でした。今のキューバの女子バレーボールの低迷には信じられなかったように強かったです。強化に失敗したらキューバと言えど低迷します。日本バレーボール協会も常に努力を惜しまない欲しいです。  

史上最強キューバ

 投稿者:K I  投稿日:2018年12月10日(月)00時06分13秒
  男女すべての団体競技で史上最強チームにふさわしいのは1990年代ルイス率いるキューバです。
団体競技といえばサッカーの代表チームの認知度が高いですがバレーボールファンの一人として
バレーボール三大大会8連覇を達成したヘオルヘ監督率いるキューバ女子バレーボールチームを
挙げます。
人間の命には限りがありますが、私はバレーボールファンになりヘオルヘキューバの功績を
見ることができたことを非常に誇りに思います。
バレーボール界のみならず今後このようなチームは二度と見れる可能性は非常に低いです。
「発展するということはいいことをもたらす半面なくすものもある」というルイスのコメントが
非常に胸に突き刺さります。
ヘオルヘキューバの偉大な功績は、史上最強チームを作り上げたPL学園中村監督に直接お会いできる
機会があればぜひ伝えたいものです。
KK世代アスリートが野球だけでなく他競技でもどれだけ偉大な功績を残してきたか
私がおぼえている海外KK世代アスリートをピックアップしたらサイドアウト制バレーボールチームと
野球チームができて、9人全員が最低一回はオリンピックでTOP3に入っています。
そのうちの5人は殿堂入りしていて、3人は日本で引退試合を行いました。
ルイスは中村監督の教え子と同い年で誕生月も一緒で、当時野球のPL・バレーボールの実践と言われた
大林と30年以上たった今でも交流がある選手ですし、世界一のタイトルを手に入れても精進することの大切さを忘れずにまた世界一を目指して戦うという精神的な強さがあればPL学園野球部の象徴だったあの選手も
逮捕されることはなかったのにと思います。
20年前の世界選手権で、当時のペルドモ監督が「維持することは到達することよりも難しい」とコメントされましたが90年代のキューバ女子バレーの活躍がなかったら「キューバ」という国の名前も頭に入っていません

 

(動画)

 投稿者:K・I  投稿日:2018年12月 9日(日)23時35分19秒
  https://youtu.be/nIZytAY_0Uw  

協会

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月 9日(日)15時49分19秒
  確かに ミュンヘンオリンピック後、強化より興行中心になりましたね。人気先行で男子はモントリオールではオリンピックのメダルを逃してモスクワでは出場権すら取れませんでした。金メダルから、あっという間にオリンピックに出場する事も出来なくなりましたね。ミュンヘンの金メダリストから選手の切り替えを失敗してワールドカップ77は2位になりましたが、それから先は奈落の底です。女子もワールドカップ77の金メダルの時はテレビ解説の生沼さんが日本には世界一のセッターが二人も居ますと言って松田、金坂の事を言ってましたが78年世界選手権は二人とも引退しましたからね。新人で小柄な小川がセッターをつとめました。その後は特別な環境の中田久美以外は中西、板橋、竹下とか小さなセッターばかりになりました。これは、強化の失敗と言うか高校バレーなどの主流が9人制から6人制にかわりセッターが小さくなった原因ですね。9人制は前衛センターがトスを上げますからブロックもしますから守備は余り重視しないから大きいセッターが育成されます。東洋の魔女のキャプテン河西は174センチでチーム一の長身がセッターでした。その後は松村勝美や生沼、高山、岩原、古田、吉田節子など、まだ9人制から6人制に切り替わる頃のセッターは170センチ位ありました。またスパイクも決める全員攻撃出来るツーセッターで主流になったのも原因ですが、また複雑なコンビバレーを取り入れらるたたのはミュンヘン以降ですから、その頃からツーセッターからワンセッターが主流になりました。当時は高校時代はアタッカー出身で実業団からセッターになった金坂や松田のワンセッターでした。東京オリンピックのセッターは河西174センチですがソ連のセッターでキャプテンのリジョワは164センチで日本のセッターの方が10センチも背が高いです。ソ連はメキシコはブルダコーワとレオンチェワのツーセッターで戦ってます。日本も生沼、高山のセンター兼セッターのツーセッターでした。岩原はセッターよりアタッカーで使われてました。高山が不調で控えのセッターは吉田節子が出てました。ミュンヘンはブルダコーワのワンセッターでしたが日本は松村、生沼のツーセッターで、やはりソ連の方が進歩したバレーをしてました。モントリオールはソ連はブルダコーワの後釜が育たなかったのが日本に負けた最大の敗因です。当時はブルダコーワの後継者は174センチでサウスポーのラリッサ、ベルゲンかつとめる予定でしたが当時としては長身、左利きのベルゲンの身体能力は高く評価されましたが気が弱いセッターである為、モントリオールは控えでムラジャンがセッターをしました。才能があっても気持ちが弱いと大成しなかった杉山加代子選手も思い出します。  

胡坐をかくきっかけ

 投稿者:K I  投稿日:2018年12月 8日(土)22時01分12秒
  日本バレーボール協会が胡坐をかくきっかけとなったのが1972年ミュンヘンオリンピック
日本男子を金メダルに導いた松平康隆氏が協会会長に就任して、地位を利用して協会を私物化して、90年代に日本女子バレーがどん底まで落ちてセリンジャー監督待望論があって本人も監督のオファーがあるのを待っていたけど結局声がかからなくて日本を去ったという話を聞きました。
リベロ制度導入、試合前のジャニーズの歌、グランドチャンピオンズカップ大会の創設
アコスタ会長は松平氏の言いなりだったと伺っております。
「加藤明」は「奇跡のアンビリバボー」と「世界なぜそこに日本人」で見て
非常に感動しました。
 ペルー史上最高の女性アスリートである、セシリア・タイトを発掘したそうですね?
ソウル五輪銀メダル朴万福監督は加藤監督の元でコーチをしていたとか?
もう二度とコートで見ることのない監督や選手たちの記事をこちらの掲示板で見るほうが
楽しいです。
 

(無題)

 投稿者:K I  投稿日:2018年12月 8日(土)21時27分9秒
  メルセデス・ペレス、孫晋芳・テリエスのことを詳しく教えてくださりどうもありがとうございました。私が生まれる前に全盛期だった選手たちなので名前しか知りませんがこの時代のバレーボールファンからよく聞く名前なので私も興味を持ち質問させていただきました。

テリエスは「キューバカリビアンガールズ」という動画で見ました。
キューバ女子バレーチームのコーチをしている姿を見たときはびっくりしました。
70年代のキューバチームは初代ヘオルヘ一家といったところでしょうか?
孫晋芳は確か数年前に癌を患って治療中だと掲載してありました。

 

動画

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月 8日(土)02時08分51秒
  https://youtu.be/XoidvH_tIx0  

古い文献を再検討

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月 7日(金)22時07分34秒
  小川かず子は富岡東高校から池坊短大に進みました。八王子実践が須藤佳代子を入れて女子初の三冠王になる最初の大会である春高バレーの決勝戦で活躍してます。池坊短大時代はセッターで162*センチながらブロック賞を大学時代取得してブロックのタイミングが素晴らしい選手です。全日本のセッターで活躍してる時もハイマンなどがコートに鋭角に叩きつけるスパイクはブロックしたりしました。小川はユニチカに入社して、都市対抗バレーで、ユニチカの正セッターになり、いきなり活躍して若鷹賞を取り、そのまま全日本に選ばれました。松田紀子が引退して全日本の正セッターは矢野がつとめてましたが、やはりセッターとし安定してない心配か、まだ海のものでも山のものでもない小川が選出されました。日ソ対抗のソ連シリーズで0-15で負けたのを、きっかけで小川が正セッターになったんですが小川が山田監督にセッターは専門家にやらせ下さいと言った話しが一般でしたが専門誌のインタビューで本当に、そんな事、三冠王監督の山田監督に言ったんですかと聞かれて、小川はキャプテンであり三冠王のレギュラーの矢野が正セッターだっし実際は、ちょっと意味合いが違うと言ってました。小川は全日本に選ばれた時には私がコートに入ってる時はチームがピンチな時と言ってました。また山田監督に直接、言ったのは小川はピンチサーバで全日本に選ばれようで控えのセッターは川原千鶴でしが実際に言ったのは私がビンチサーバーに入った時は私にセッターを、やらして下さいとは言いましたが、キャプテンの矢野さんを差し置いて実績も無い私がトスは専門家に上げさせ下さいとは言ってないとインタビューに答えてました。しかし、山田監督は0-15で破れた時に小川の言葉を思い出して急遽正セッターにしたのは事実です。小川がセッターをする前は矢野のセンターポジションに須藤が入ってたのも驚きますよね。普通なら江上の対角は金子佐知子です。またセッターなら川原がつとめます。如何に当時は白井、松田が引退しただけで自転車創業だったか判ります。水原が怪我で離脱した事もありレフト横山、須藤、センター矢野、江上、セッター小川、吉田真理子をレフトからライトに変更してインスタントチームでソ連と対戦しなかったけど銀めだるをよく取りました。確か松田、白井が引退した後の全日本女子のドキュメンタリーをNHKが特番で放送してました。選手は白井、松田が居たから金メダルがこれまで、取れたと思われるのが嫌だと金メダリストのプライドをかけて感じでした。また小川は山田監督に背が低い分、ジャンプして常にトスを上げろと言われながら練習でトスを上げてました。世界選手権後のインタビューでは銀メダルを取れてホッとしたとか、今までソ連と日本だけで金メダル、銀メダルを守ってたのに金メダルがソ連でなくキューバになったのは残念だと言ってました。またキューバに日立が遠征して四連敗した時の第1戦、2戦はフルセットまで、もつれて、第2戦はジュースの末、破れた時に線審のスパイクのジャッジがインじゃなくてアウトじゃないかと選手が線審判を囲んで抗議した、そうですが、それだけ選手は必死で戦ったと山田監督は言ってました。またキューバ遠征は環境が悪く地獄のようだったと言ってました。また松田がウルヘリエスがワールドカップの時より凄く成長したも言ってました。今までフェイントしか落ちて来なかった所にスパイクが落ちてきたと言ってましたが世界選手権の決勝戦を放送してて見ましたが本当にストレートでアタックラインの内側にスパイクが刺さってましが、惨敗でしたが、78年の世界選手権の決勝戦の試合の動画で、もう一度、確認の意味でみたいです。そのキューバに大接戦した、ソ連-キューバもみたいですね。確かマカゴノワが怪我で使えなかったのが痛かったらしいです。キューバもバルネットが背筋を痛めてて予選はエレニア、デアスが入ってましが決勝戦はバルネットが先発でした。またキューバの金メダルポイントは世界選手権で最後までコンビが合わなかった小川、江上のコンビミスでした。またNHKのドキュメンタリーで予選ではキューバに勝つのは厳しいから2位通過で準決勝進出を、予想でソ連が1位通過とみて当たると山田監督は思い対、ソ連戦の対策を入念に考えてましたがソ連が予選の韓国戦にフェイントカバーのシフトミスでストレート負けして結果、ソ連とは当たらなかったのは幸いだったのか?判りませんが個人的には韓国と当たってラッキーだったと思います。日本女子選手は飯田と松田は殿堂入りして欲しいですね。江上は微妙です。ベルはキャプテンだし入って欲しいです。  

有難うございます。

 投稿者:アルタガモワ  投稿日:2018年12月 7日(金)12時03分29秒
  久々にオールドを覗いたらこんなに密な情報が満載でワクワクしました。
カルバハル様にはいつも感謝です。一体何れだけ情報収集されているのだろうと思います。
私に取っては今から三十数年前前に何も分からずピンと来ないにも関わらず読んでいた「白球の長い旅」を読んでいる気分になれます。
私個人は81年W杯を何とか覚えてロス~ソウルまでをピンポイントでドキドキハラハラしその後は冷ややかな目でいた自分にはとても貴重な情報です。
これからも色んな話を聞かせて下さい。
 

スポーツニュース

 投稿者:カルバハル  投稿日:2018年12月 2日(日)14時13分40秒
  でさへバレーボールは取り上げられなくなりましたね。プロ野球がシーズンオフなら昔はバレーボールは必ず大きく取り上げられましが、全く取り上げらませんね。昔だけでなく中田ジャパンになってからの劣化が更に拍車をかけてますね。バラエティー番組にも出なくなるかも?しれませんね。東京オリンピックじゃなくてもオリンピック前なら普通なら盛り上がるんですけど他の競技に置いてきぼりを食らってます。昔なら今年の世界選手権の成績なら100%監督解任です。銀メダルでも解任した時代は別にして世界選手権一次リーグ敗退の男子、開催国で6位の女子成績でも監督続行じゃ改善も責任もなく東京オリンピックは諦めの胸中じゃ人気回復は到底駄目です。  

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