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  1. 日紡貝塚(2)
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昔の話し

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月22日(金)21時00分42秒
  74年の世界選手権で日本はソ連をストレートで破り金メダルを取りました。その大会で日本はキューバに1セット奪われてます。そして75年は3国対抗戦で日立、前田、横山の居る日本選抜チーム(飯田は、その時は引退)、キューバ、ブラジルの対抗戦で二回戦総当たりで日立が有償、2位は3勝3敗でセット率で日本選抜、3位はキューバ、4位は全敗でブラジルでしたが、まさか78年でキューバが世界チャンピオンに、こんなに早くなるとは思いませんでした。しかし今は、ブラジルが北京、ロンドンとオリンピックニ連勝するチームになるとは、夢にも思いませんでした。当時は日本では白井が305㌢に届く高さが一番でしたか、キューバの選手の平均が三歩助走で307㌢、ペレスやバルネットは321㌢に届いたようです。将来性を感じました。しかし今はキューバは世界バレーでも全然ダメです。オリンピック三連覇した国とは思えません。ペルーも駄目になりました。ブラジルも、このまま落ちていくんでしょうか?そう考えてみるとロシア、中国、アメリカ合衆国は、落ちても、また短い間に復活します。日本、ポーランド、北朝鮮、韓国、ドイツ、チェコなど三大大会でメダル経験チームも、なかなか世界の上位に復帰出来ません。イタリアが、漸く復帰してきましたが、やはり大国の方が人口が多いからかも?知れませんね?なので日本が一番頑張らないと駄目なのは、やはり普及でしょうね。バレーボール協会の努力が大きいと思います。  
 

メダルを取ったオリンピック前

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月22日(金)12時59分48秒
  前回の東京大会は金メダル、62年世界選手権、金メダル、メキシコ大会、銀メダル、67年世界選手権、社会主義国不参加で金メダル、ミュンヘンオリンピック 銀メダル、70年世界選手権、銀メダル、71年プレオリンピック金メダル、モントリオールオリンピック、74年世界選手、金メダル、プレオリンピック、単独日立で銀メダル、モスキーノオリンピック不参加、78年世界選手権、銀メダル、プレオリンピック金メダル、ロスオリンピック、銅メダル、82年世界選手権4位、83年アジア選手権、金メダル、ソウルオリンピック、身に付いてメダル無し、世界選手、メダル無し、ロンドンオリンピック銅メダル、世界選手権、銅メダル、ワールドカップ4位、必ず、オリンピック前は、選手が自信が付くような成績を納めてます。今回のナショナルチームは国家プロジェクトで東京オリンピック、メダルを狙ってます。更に伝説ののるチームを作るなら、東京オリンピックの金メダルと同等の成績でしょうね?しかしオリンピック2年前、今のところ、オリンピックに繋がる成果は出てません。どーなるんでしょう?急成長する要素とか見られません。オリンピックの出場権が無いワールドカップで金メダルでも取らないと全然、信頼出来ません。  

その昔

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月21日(木)11時36分39秒
  鐘紡と豊橋東、中村とヤシカ、四天王寺とニチボー、久喜と東京三洋電機と選手ないし監督が繋がってました。日立は三鷹高校教員の山田監督と生徒の生沼が日立武蔵創部当時のメンバーですがインターハイが6人制になり初のチャンピオンが三鷹高校です。日立は、始めから6人制のチームからスタートで日本リーグ初代チャンピオンですが、当時は新参ものでしたが、メキシコオリンピックの主体チームになったのは山田監督の素晴らしい指導力は認めないといけませんね。山田監督が、おかしくなって来たのは、やはり目標である打倒ギビ監督を達成あたりからですね。少女バレー塾も、同じように、志しは良かったんですが少女バレー塾で世界と戦ったのは大林と中田の2人だけでした。ソウル以降はバレーボールの指導者としては?です。山田監督は日立創部~モントリオールまで現実的な勝つバレーボールを追ってまましたが、その後は白井、矢野のツーセッターから始まり中田久美の出て来て将来の夢ばかり語る人になりました。江上なんかは小島監督の下、ナショナルチームに所属してましたが、再び山田先生の元でナショナルチームで活躍するのが夢といってましたが、日立に入社した当時のモントリオール前の山田監督の下にナショナルチームは現実になりましたが江上が憧れてた山田監督は、もうそこには居なかったと思いますよ。晩年は老害とか言われましたが小島監督の方がバレーボールの指導者としての人生は、まっとうしたと思います。  

白井が中退したのは

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月20日(水)21時04分50秒
  片山女子高校で岡山県の強豪で就実高校とは、ライバル関係でした。葛城ユキもクラボウの選手でした。岡本は確かに癌なり完治して講演してましたね?吉田真理子は一時ワイドショーのテレビレポーターもしてました。埼玉県の与野市、今の、さいたま市出身で久喜高校出身で高校ビッグスリーと言われ中村高校の川口朱美、博多女子商業の横山樹理と並び称せられた選手です。ワールドカップ77で活躍しました。74年の世界選手権は日立の選手でナショナルチームのサポート役で帯同してます。岡本は日立のキャプテンでナショナルチームをAとBと分けた時の日立中心のAチームのキャプテンで日立のキャプテンでキャプテンシーもあります。勿論Bの選抜軍のキャプテンは飯田です。日ソ対抗で、ギビ監督が、どういう感じでAとBを分けたんだと迷わせた日ソ対抗でした。岡本は速い平行トスを生沼とのコンビでミュンヘンでも決めてました。松田と白井の、ひかり攻撃が有名ですが、岡本も速い平行トスも得意な選手です。74年世界選手はライトでレギュラー、モントリオールでは白井の対角エースで白井が後衛に下がっても攻撃力は変わりなかったです。ミュンヘンオリンピックの経験者は白井、飯田、岡本と3人です。またサンスポの記事でも初の世界三冠王が山田監督と紹介されてますが、間違いです。ソ連のギビ監督が73年ワールドカップで達成してます。昔は三冠王監督と山田監督は言われてましたが、中国の袁偉民監督が三冠王監督になってから、山田監督が世界初と言われるようになり、間違った話しが、その後、訂正されずに言われるようになりました。白井と岡本が朝逃げしたとしら、もう一人は、やはり日立、繋がりで加藤でしょうかね?のちの日立、第二期黄金時代の主力中の主力ですからね。生沼さんはミュンヘンのレギュラーですから、ばつが悪いでしょうね。ミュンヘンのチームはレギュラーと控えを取り持った役目はベテラン岩原がつとめたとも言われてます。出身は違うらしいけど東京で育ち中村高校出身で、チャキチャキの江戸っ子と言われてた岩原が裏方をつとめたとも言われてます。中村高校とヤシカは太いパイプがありました。果たして、誰が白井と脱走したんでしょうね。四天王寺高校の佐藤監督が確か小島監督のミュンヘンチームのマネージャーをしてました。佐藤マネージャーが確か白井らを探して日の丸つけてる意義を、まだ子供の白井達に、しっかり説明して納得させたんですよね。どーも今の日本のナショナルチーム監督の中田久美にも、日の丸つけて戦う意義を教育して欲しいと思います。  

岡本選手の娘世代(自称)失礼します

 投稿者:岡本 すいか  投稿日:2019年 2月20日(水)18時47分6秒
   皆さん、お世話になります。私も「関西、それも(神戸市東灘区)岡本出身の岡本」です(笑)。

 私はかおる姫&鈴木洋美世代です、しかしながら先の生沼さんもさることながら、皆さんが挙げられている岡本選手にも魅力を感じられ、また上記の通り勝手ながらある種の親近感(馴れ馴れしいだけですか?)も感じてしまいます。また私事で恐縮ながら、私の母と同い年、ミュンヘン五輪の時は21歳だった学年ですね。東大阪高校は、岡本選手が在学中だったときは女子高だったようですが、その後少子化もあって現在は改名、共学化されました。

 そうですよね、生沼選手にとっては後輩ですからね、ご自身の引退とは入れ替わって、その岡本選手からの勧誘もあって白井選手は日立に移籍されたようです。サンスポの下記記事、実に興味深く拝見した「岡本選手の娘さん世代」でした。
 

岡本真理子選手

 投稿者:アルタガモワ  投稿日:2019年 2月20日(水)18時37分23秒
  もしかして今から二十数年前胃のオペされた方でしたっけ?ワイドショーで報道されていたのを思い出しましたがどうも吉田真理子選手と岡本真理子選手の区別が付かなくて・・・。

歌手の葛城ユキさんは重なってはいませんが白井選手の先輩なんですね。
 

東大阪出身は

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月19日(火)19時31分38秒
  岡本真理子ですが、岡本ですかね?関西の地図は頭に入ってます。加藤と白井と岡本なら岡本と加藤は日立の選手だから、生沼さんの立場がないですね?岡本て後に日立のキャプテンだから、脱走するかな?  

脱走した話し

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月19日(火)19時27分19秒
  NHKBS1で以前放送された時に知りました。3人で逃げたんですね。当時は日ソ対抗戦で日本も大きくなりましたと解説で言われてましたね。白井の他に大型選手はミュンヘンには出てませんが加藤きょ美とかは日ソ対抗には出てた記憶が有りますし放送で、チラッと加藤の写真が出てましたね。大型の若手選手はレシーブが苦手なんで、一緒に脱走した可能性はありますね。真実はわかりません。もう一人も、同じ観点から考えると、専門誌では期待の大型選手とか載ってる記事では大学生の古田とヤシカの永野が記載されてます。若手で大型、ユニチカ以外の白井以外の選手で全日本の合宿に参加するのは学生の古田は考え難いです。大型の白井と同じでミュンヘンオリンピックで期待されてる選手で守備で、小島監督に、しごかれて白井と同じ気持ちを持つ選手は加藤と永野ではないでしょうか?同じミュンヘンで参加した選手を考えれば、岡本かも?知れませんが、想像の世界なら加藤と永野と白井の3人かも?知れませんね。事実は判りません。誰なんでしょうか?しかし、どの選手も三大大会で活躍した素晴らしい選手です。  

こんな記事が

 投稿者:昔話  投稿日:2019年 2月19日(火)17時39分28秒
  https://www.sanspo.com/sports/news/20170509/vol17050911000001-n1.html

面白い記事がありました。
良く知られたエピソードですが、一緒に脱走した二人のうちの一人は東大阪ということですぐ分かりますね(笑)。
もう一人は誰だったのか?
ユニチカのメンバーだとは考えにくいしよそのチームのベテランでもなさそう。
ミュンヘンのメンバーの他に誰か合宿に参加してたのか?

白井さんと一緒に写真に写っているのは、向かって右が岩原さん、左が浜さんです。
 

コンビバレー

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月19日(火)16時03分49秒
  韓国のツーセッターのコンビバレーは速かったですね。昔話さんが、おっしゃる通り日ソより速攻は素晴らしかったです。ヤシカの古田は身長が180㌢あるセンターでセッターでした。74年の世界選手権、金メダルメンバーです。正セッターの松田が怪我して離脱して正セッターは金坂がつとめてましたが、てっきり古田がキャリア的にも正セッターしても、おかしくないと思いましたが74年世界選手権のメンバーのレギュラーで前田、飯田がレギュラーで控えも斉藤、古田、小山、横山は日立以外の選手なんで、山田監督は日本リーグの練習だと思ってトスを上げてこいと金坂を正セッターにしましたが、まさか世界選手権のナショナルチームの正セッターが日本リーグでセッターの経験がない金坂を正セッターにしたのはモントリオールオリンピックで日立を主体で出場する為といい、凄い事ですよね。金坂は、それでソ連をストレートで破り金メダルセッターにまでなったんだから驚きます。最後までセンター矢野とのコンビが合わなく心配されてました。コンビバレーは器用で守備力のある韓国や日本が完成させましたが、その後、ワンタッチを数えないルール変更になり器用性が低い、守備力が乏しい大型の選手も頻度に、コンビバレーをするようになりました。やはりモントリオール後のルール変更が女子バレーのエポックになったと思いました。また専門誌で故山田監督がモスクワオリンピック前に言ってましたが女子のバレーボールは動きが良い175㌢前後のアタッカーが理想と言われてましたが昔、モントリオール前にソ連の女子バスケット選手でウイリアナ、セメノワ選手210㌢のような選手がソ連には居るのに何故バレーボールでは使わないのか?ギビ監督に聞いたら、ミスター山田は私を早く監督から、下ろしたいのか?バレーボールはバスケットと違い体格が大きいだけでは通用しないと言ってました。確かに、ソ連の主力のアタッカーであるリスカル、スモレーワ、サリホワも174~176㌢位の選手です。故山田監督は、そう言いながら、コートを見つめて、しかし今コートで活躍してスパイクを決めてるハイマンは196㌢の選手がバレーボールをしてる、こんな時代がくるとは私もギビ監督も思ってもいなかったと言った話が専門誌にありました。より女子バレーが大型化して男子化してのは、やはりはアメリカの、フローラ  ハイマンの出現とセリンジャー監督の指導も女子バレーボールを変えた要因ですね。その後、アジアでも郎 平、李 月明、頼 亞文、張 ヌイヌイ、朱 テイなと大型化していきました。ソ連もチェブキナ、アルタモノワ、ゴーディナ、ガモワと大型化しました。ペレス、ポマレス、ウリへリエス、カルバハル、トーレスと大型化してルイスなど男子以上のジャンプをする選手が現れてます。大型化しても速いブロード攻撃もしますから女子バレーの進化は技術だけでなく体格にも現れてます。日本は昔は日本より小柄な韓国を、相手にする時は、ゆっきりした攻撃で、コンビバレー合戦に持ち込まないで勝ってましたが今は韓国の方が体格も大きいです。  

速攻

 投稿者:昔話  投稿日:2019年 2月19日(火)10時00分57秒
  70年代の初めにはA、B、C、Dと速攻を一通りやっていましたし
時間差と移動攻撃もありましたが、移動攻撃は今のブロードほど移動距離はありませんでした。
セッターの前後からのAとCは当時でも結構速くて、アタッカは短い助走を取って踏み込んで
ボールの上りざまにスパイクを打ち込むようなものから、いわゆるセミクイックもありました。
飯田さんや古川さんは速さより高さを生かしたセミが得意だったように記憶しています。
70年代初めでは生沼さん、浜さん、塩川さんは、結構早いクイックを打っていました。

BとDはまだ打数自体がそれほど多くなく、アタッカーが跳んでからトスを上げるというより
速くて低めのトスが上がってからアタッカーが助走して打ち込むような形が多かったと思います。
アタッカーがアタックラインぐらいのところに構えていて、トスが上がってから助走を初めて
今のBクイックより助走を多く取っていたんじゃないでしょうか。

今ではセンタープレーヤーはほぼ速攻しかやりませんが、70年代の前半ぐらいまではセンターが
センターからオープントスを打つことも多く必ずしも速攻要員ではありませんでした。
特に高身長で馬力があるセンターがいると二段トスがセンターに上がることもめずらしくありませんでした。
そこは今と昔で変わりましたね。

やはり女子のバレーが大きく変わったのは70年代の半ば以降だったんじゃないでしょうか。
日立を中心に妥当ソ連を目標に掲げて、筋力トレーニングやサインプレーなど取り入れて
より速くて複雑なコンビバレーに取り組むようになったあたりから、トスが速くなり
速攻もより速攻らしくなったと思います。

73年のワールドカップのセミファイナルの日本(ヤシカ)対韓国の試合がダイジェストで
放送されたのですが、韓国のバレーは早かったですね。
当時、ソ連も日本もあんなに早いバレーをやっていなかったので驚いた記憶があります。
そして77年のワールドカップで見た中国のセッターコンビのライト攻撃もかなり高速でした。
特にソンシンポウがトスアップしてチンショウテイが攻撃するクイックは本当に速かった。
女子が男子のバレーを積極的に取り入れるようになった70年代後半が転換期になったと思います。

それからヤシカの岩原豊子さんですが、私が覚えてないだけかもしれませんが
岩原さんは今でいうサイドアタッカーで速攻はやっていなかったと思います。
速攻が得意だったのはもう一人のセッターの古田さんで、古田さんはブロックも得意で
飯田さんとともにブロックのヤシカの軸になっていました。
 

助走

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月18日(月)22時06分12秒
  昔の選手は今の選手程、助走をとってないですね。昔は最高到達点とか、ランキングジャンプの話しよりサージャントジャンプ、その場飛びのジャンプ力よく比較してました。確かに、ラリーになったり、速効性とか、リバウンドして打ったりとか試合中は十分な助走が取れてスパイクを打つ余裕なんてないです。二段トスもボールを目で追いかけて後ろからくるボールをスバイクする訳だから、思いきったランニングジャンプなんかしません。ブロックジャンプだって同じです。良く高さがないからダメとか言う人が居ますが高さだけでは議論出来ないのがバレーボールです。330㌢に最高到達点がある選手でもトスの関係もあるし330㌢の高さではスバイクは打ちません。体格だけでは語れないのがバレーボールです。素晴らしいスバイの前には良いトスか必要です。良いトスの前にはナイスレシーブが必要です。それを、させないなら強いサーブが必要です。バレーボールのブレーは繋がってます。やはりチームワークでしょう。  

懐かしい

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月17日(日)12時07分39秒
  https://youtu.be/bcMVvjQts9U  

昔の話し

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月17日(日)10時42分51秒
  専門誌の記事の記憶ですがモントリオールオリンピックの全試合ストレート勝ちや松田がメンバーに選ばれなかった永木に金メダルを半分に割って捧げた話しなどは、有名です。コアな話題で速攻の速さの順番をつけた話がありました。一番は有名な、白井の、ひかり攻撃、二番は、矢野のBクイックでした。三番が高柳のAクイックだったんですよ。高柳は春高バレーで中津南高校を優勝した大木先生が育てた金メダリストです。矢野や横山など女子バレー界で豊作の年です。74年世界選手権で日本が10年ぶりにソ連を破り王座奪回した大会は日立の一員として生沼さんがリーダーになってチームのサポートの一員でしたがモントリオールで金メダルチームのレギュラーです。その後、怪我に悩まされナショナルチームでは控えで唯一のレギュラーらモントリオールオリンピックと強運な選手です。同期の横山樹理が74年世界選手権~82年世界選手権までナショナルチームに所属してましたがレギュラーでの金メダルは一回も取れなかった事と比べると、どちらがバレー人生、幸せか?ですね。高校もインターハイは中津南は準決勝で横山の居る博多女子商業に敗れてますが国体予選は九州代表は博多女子商業を抑えて中津南でした。国体は川口朱美の中村高校に負けて準決勝でした。引退後は吉田コーチと結婚してアメリカナショナルチームのマネージャーしたり柏エンゼルスクロスの監督をして活躍しました。身長は高校時代は168㌢日立に入社して171㌢とナショナルチームのバレーボール選手として小型でした。実業団になった時、中津南の2枚エースで対角の三浦富士子が、先に鐘紡で活躍してつらかったようです。高柳は三浦と一緒に実業団でバレーボールしたかったが164㌢しかない三浦は、もし一緒のチームで、どちらかが先にレギュラーになったらつらいか、敢えて違うチームを選択したと言ったそうで三浦が先に活躍したので高柳は三浦が言った意味が判ったと言ってました。そんな高柳のAクイックがモントリオールオリンピックメンバーの中でも3番目に速い速攻と言われたのは、素晴らしい事です。高柳のAクイックは、確かに速いです。えっ誰が決めたのて感じのクイックです。  

生沼スミエ監督

 投稿者:岡本 すいか  投稿日:2019年 2月16日(土)22時42分22秒
   初めまして。今春不惑を迎える「元コギャル」です。別スレッドで記させていただきました、
広瀬美代子選手の20年後輩です(…ということは、広瀬さんは今春還暦ですか。今は中島姓、名古屋在住とのことだそうで)。
こちらでは若輩者でしょうからリアルタイムで諸先輩方、ご指摘や情報提供をしてくださるとうれしいです。

 今、遠く離れた神戸の実家には今は亡き祖父が遺してくれたバレーボールマガジン、昭和58年1月号があります。なんと、史上初の女性監督・生沼スミエさんがアジア競技大会を率いられ、その指揮下に江上新主将背番号1、私の大先輩・広瀬選手背番号4、そして現監督・中田久美選手背番号12といるのです。あとは、杉山佳代子選手背番号8。いずれも、祖父が贔屓にしている選手でした。
恥ずかしながら、生沼さんについてはこの本を読んで初めて知りました。これも私事で恐縮ながら、父と同い年(昭和21年生まれ)、ご健在なら昨秋72歳になられたようで。

 すると、中田監督は、この生沼監督以来の女性監督なのでしょうか。

 それにしても、この本には「アジア競技大会・銀メダル」の戦績とともに、生沼監督の独占(?)インタビューが掲載されていました。昭和57年暮れといいますから、私が物心つく前、まったく記憶にないのが実に惜しい(笑)。にも拘わらず、その記事を一読しただけでも、
生沼監督が中田選手に目をかけているのがわかりました。
『今大会の収穫は、中田です。新生全日本のセッターとして、よくがんばりました。
(この大会から全日本に加入の)杉山も見習うべきです。コートでは、先輩後輩もありません。自分が年少という隠れ蓑を捨てなければ』。
一言一句までは自信がありませんが、少なくとも、上記の内容だったかと思います。お持ちの方、もしいらっしゃいましたら。
解説者としての生沼さんは、辛口且つ応援団長的だったそうですね。この談話を読んでもそれがわかります。

 大人しい?杉山選手も、その後(この1大会だけの指揮だった)生沼監督の辛口に応え、
ロス五輪で銅メダルに貢献したことは、皆様のほうがご存知かと。生前の祖父からも、お話を聞いていました。それだけに、物心つく前だったのは惜しいです。

 初心者の駄文失礼しました。それでは。
 

始めてオリンピックの銅メダルを取った。

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月16日(土)19時12分8秒
  カーリングの試合は毎日ゴールデンタイムの国内の試合がNHKBS1で放送されて羨ましいです。昔はバレーボールも羨ましがられたんでしょうね。こんなに早く、こんなに落ちると思いませんでした。オリンピック後は、どうなるんでしょうね?黒後も古賀も人気選手になるにはイマイチですね。やはり久光製薬の、ようなチャンピオンチームに人気選手が現れないと第二の木村沙織の、ような人気者になりません。実力も人気もないと競技の人気に繋がらないですね。さおりん前はメグカナ、その前は、かおる姫?、その前は、佐伯?その前は山内、大林?その前は、カルテット、江上、三屋、広瀬、横山、モントリオール組は、人気は金坂?荒木田がありましたが実力者が沢山、居ました。その前は生沼が人気ありました。その前は東洋の魔女です。  

バスケより下にはなりたくないですね。

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月16日(土)16時55分2秒
  日々、目標が下がりますが日本として成績と人気もバスケよりは、上にいたいですね。バスケに負けたら大型有望な選手は、持っていかれます。  

世間は見向きもさしない。

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月16日(土)12時34分31秒
  バライティ番組、アニメ、スポーツ番組、スポーツニュース、新聞、スポーツ新聞、ですらバレーボールは扱いしないです。白血病になり、そーとしてやれば良い、池江璃花子選手の個人は毎日報道されて、逆に可哀想です。取り扱って貰いたいのに、相手にされない虚しさを感じます。Vリーグが、どうなっても世間は、見向きもしません。話題作りでビジュアル優先のメンバーの方が話題には、なりますが?やはりバレーボールを見て欲しいです。オリンピック前年を、こんなカタチで迎えるとは思いませんでした。オリンピック後は、どーなるんでしょうか?有明アリーナ、アクセス的にも、あまり良いとは思えません。東京体育館と比べて良くないです。都民税が維持費負担になりそうです。自分の事や立場だけしか考えてないとバレーボールは終わりますよ。嶋岡さん
 

昔の話し

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月16日(土)09時50分22秒
  ドラマやアニメも普及に繋がりました。今は、ハイキューくらいですね。https://youtu.be/l8E6XIxmyZQ
最近はバライティ-すら出でないです。
 

現代版の掲示板

 投稿者:カルバハル  投稿日:2019年 2月14日(木)20時10分28秒
  タイのチャレンジシステム、日本より進んでますね。それと会場とコートが綺麗ですね。昔、バンコクのアジア大会でタイとの試合でタイのサーブで始まり、サーブ権を取り水原のサーブで一回もローテーションしない完全なパーフェクト試合のセットがあった大会は、日本で言えば中学の体育館みたいな会場でエンドライン、サイドラインから3歩位、歩くと体育座りした観衆が居たコートでしたが、今は日本のVリーグの会場より綺麗で、良い環境の会場で試合してるので、タイチームのバレーボールの進歩を試合の技術だけでなく環境も進歩してると感じます。観衆も多く興行収入も黒字なんでしょう。強化と普及にタイは努力してますね。オリンピック出場権も東京オリンピックでは取れて出場出来そうと感じます。ますます、東京オリンピックでの日本チームの成績が怪しくなりますね。またオリンピック施設の建設が話題になってきてます。オリンピックが終わった後の維持費が課題になってるようです。都民が気安く利用出来るような使用料金に、する、らしいですが維持費で足りない分は都民のスポーツ振興の税金で維持費を工面したり民間に譲り渡したり施設のネーム貸し費で維持するようです。バレーボール会場になる有明アリーナも気になります。レガシィになると良いですが負の遺産になったら、バレーボールの成績が悪かったら、バレーボールのイメージが更に下がりす。残念な結果は避けて欲しいです。  

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